製薬会社で正社員として6年間働いた後に脱サラし、29歳でまったくの未経験から漆芸の道を志した中田真裕は、その勢いのまま飛び込んだ香川県漆芸研究所で伝統的な漆芸技法である蒟醤(きんま)との運命的な出会いを果たし、非凡な才能を開花させた。

タイやミャンマーといった東南アジア諸国に端を発する蒟醤は、日本では江戸時代後期に高松藩(いまの香川県)の漆彫師、玉楮象谷 (たまかじ ぞうこく)が創始した技法だと言われている。漆を幾重にも塗り重ねた上に刀(ケン)という特殊な彫刻刀で文様を線彫りし、その窪みに色漆を象嵌してつくられる蒟醤の漆器は、異国情緒漂う珍しい工芸品として、かつては諸大名への進物品に珍重された。その蒟醤の技法に倣いながら、しかし伝統的な様式にとらわれずにまったく新しいアートへと変容させていく中田のクリエイティビティは、ファイナリストに選出された「ロエベ ファンデーション クラフト プライズ2019」などを通して、海外からも注目されている。

「サラリーマン時代は、男社会の中で頑張っていくことにちょっと疲れていたのか、自分の成長が止まっているような感覚を持つようになったんです。その止まってしまった気持ちをどうにか動かしたいと考えた時に、なにか作品づくりをしてみたいと思い立ちました。蒟醤の作品は毎日少しずつ印象や見え方が変化していくように見えるのですが、それは自分が変化している証でもあり、成長しているような実感を与えてくれました」

近年は表現をよりパーソナルなものにして行きたいと考え、以前のようにどこかの風景を取材するのではなく、自分の中で大事にしている思い出の断片を作品の題材にしているという。

「それは、工場群から立ち昇る煙の形や色だったり、山登りでガレ場を歩いた時に身体が浮いているように感じたことだったり、とてもピンポイントなものです。その景色や感覚を思い浮かべながら、最初の彫りを行います。彫りながら絵を描いていくイメージですね。そのあとに続く色埋めの工程では、いま現在の気候、温度、湿度、そして自分の体調と、いろんな要素が作用する中で作業をしていくので、時系列的にも無理がなく、日々変化していく過程をそのまま作品へと投影していくことができます。漆の作品は長く残るものなので、ずっと先の未来の人たちがどんな生活や考え方をしているかわからないですが、私の作品を触って、色や形を見て、匂いを嗅いで、音を聞いて、雑談のタネにしてもらえたらいいなという希望を持って、日々作品づくりを行なっています」

漆芸という現代に生きる日本人にも遠い存在となりつつある伝統工芸は、一人の作家のパーソナルな表現の中で日々変化と成長を繰り返しながら、世界へ、そして未来へと広がっていく。

動画ディレクション:TISCH(MARE Inc.)

インタビュー、文:佐野 慎悟

スタイリング:菅原百合

ヘア&メイク:遠藤真希子

衣装協力:ワンピース¥79,200/テルマ

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